東京臨海高速鉄道りんかい線


1.貨物輸送と東京外環状線

りんかい線の開業は1996年で、全線開通が2002年ですが、計画自体は実は1960年代まで遡ります。
見出しにもある、東京外環状線です。

この路線は、
・武蔵野線(現在の鶴見〜新松戸に相当)
・小金線(現・武蔵野線新松戸〜西船橋に相当)
・京葉線(現・東海道貨物線川崎貨物〜東京貨物TM〜新木場〜蘇我〜京葉臨海鉄道に相当)
で構成されてるわけです。

この京葉線東京貨物TM〜新木場間が現在のりんかい線に相当する部分で、かつここが現在に至るまでの原点になります。
この武蔵野線っていうのが、品鶴線・山手貨物線等の貨物線の輸送量緩和&高度経済成長の中での貨物輸送量増加への対処です。

そして平たく言えば、品鶴線・山手貨物線は現在の湘南新宿ラインのルートで、
今では想像も付かないでしょうが、新宿とかその辺りは貨物列車が多く通過していました。現在でも一日一往復は残っているそうですが、
現在の比ではないくらいに走っていました。
そんな中で貨物列車の事故を契機に、都心部に貨物列車はいかがなものかという意見が続出したそうです。。
一例としては燃料を積んだ貨物列車の事故で火災という二次被害を出してしまったりだそうで。

また当時は、汐留の貨物駅も稼働中でした。現在でいうところの日テレ本社屋の辺りです。
そういった都心に位置する貨物駅が手狭になったのも、東京外環状線建設の経緯です。

とはいっても、1970年代以降、鉄道貨物輸送量は下がります。
モータリゼーション(一言で言うと自動車メインになること)の進行もありますが、
国労ストの影響で貨物列車が重点的に狙われたからと言われています。

ちなみに、モータリゼーションの逆は近年話題のモーダルシフトです。


その頃から郊外部にまで宅地化の波が広がり、外環状線沿線エリアにまで宅地化が進みました。
沿線住民の理解を得るため国鉄は、外環状線に旅客列車も走らせることになります。それが現在の武蔵野線です。


1973年 武蔵野線府中本町〜新松戸間開業
当時は日中40分間隔って言う、日常利用にはつらいダイヤでした。

ちなみに、川崎貨物〜東京貨物TM〜汐留も同年に開業。
川崎貨物は当時塩浜操車場でしたけども。

以降、武蔵野線西船橋まで
京葉線、千葉貨物ターミナル(廃)〜蘇我、京葉臨海鉄道
西船橋〜千葉みなと間(当時は千葉港(読み:ちばみなと))が開通していきます。時系列的に後述する内容ですけど…

そして、時系列的には前後しますが、
東京貨物ターミナル〜13号地間(現在の台場エリア)の台場トンネルの建設が始まります。
これが、現在の東京テレポート駅前後のトンネルとなります。
…まあ、全部が全部転用されてるわけじゃないんですけど。とりあえず、後述します。

2.日本の産業構造変化と国鉄爆破

そんななか、オイルショックが日本経済を襲います。
元々京葉線沿線は広大な工業団地を建設する予定でした。
そもそも、13号地〜二俣新町間の建設が計画通りに行かなかったって言うのもありますが、

石油の需給バランスが狂って、製造業とかその辺の二次産業が衰退し、
経済が立ち直る頃には、バブルっていう93年生まれの管理人からすれば気が狂った時代に入ったわけです。
そうすると、日本は三次産業が経済の主体になります。

そうすると、その工業団地予定地には、宅地開発やら、レジャー施設が出来たりするわけです。
さらに追い打ちを掛けるかの如く地価高騰により郊外部への宅地開発がヒートアップし、
国鉄総武本線やら営団東西線など既存路線の異常なまでな混雑を見せます。

ちなみに、新幹線通勤が一般的になったのはその時代です。
都内に家を買う>郊外に家買って新幹線通勤 っていう状況でしたから…

そんなわけで、京葉線はそれらのバイパス路線としての性格を持たされることになります。
という事で、国鉄は京葉線を貨物線から旅客線へとシフトチェンジして行きます。
当時は新木場(当時は湾岸という仮称)から営団有楽町線への直通計画でしたが、

結局は、計画が破たんした、成田新幹線の土地を転用して東京駅への乗り入れになりました。
京葉線のトンネル部分は、成田新幹線の構造物転用じゃなくて、土地の転用です。

で、その時代と言えば、国鉄分割民営化が正式決定し、
先述の京葉線旅客化により、前述の台場トンネルは、建設中止になります。。
東京貨物TM〜13号地部分のトンネルが完成したにもかかわらず、台場トンネルはしばらく放置されます。
また台場トンネルに関してはJRは継承しないとのことで、国鉄清算事業団が継承。

そして、さっきも書きましたが、国鉄末期に京葉線西船橋〜現在の千葉みなとが開業し、
1988年、新木場〜西船橋・南船橋開業
1990年、平成に入って東京まで開業。
という、京葉線の流れになります。

3.番外編 埼京線の概略

話は一気に変わりますが、ご存知の通りりんかい線は埼京線と直通してます。
なので、いったんここで軽く書かせていただきます。

埼京線は、東北新幹線建設見返りの一環で建設されました。
本当は埼玉県内は地下化の予定でしたが、地盤ノ関係で高架で抜けることになりますが、反対運動が激化します。

そこで、国鉄は見返りとして通勤新線を建設します。
その新鮮と赤羽線と一体運行させる計画になりました。

ちなみに、赤羽線は、現在の埼京線の池袋〜赤羽間です。

更に言うと元・浦和市にある某・菓子メーカーの工場の土地買収に失敗し、川越線沿線に、車庫を確保し、
1985年池袋以北が開通
1986年新宿まで延伸します。

4.臨海副都心開発計画とりんかい線開業

事の発端は、開発に開発された都内のキャパオーバーを危惧した当時の都による、
7番目の東京副都心「臨海副都心」開発計画。

同時に「世界都市博覧会」が計画され、新宿とかっていう副都心の開発も進み、
首都圏の広域ネットワークとその都市博のアクセス路線を狙い、
京葉貨物線旅客化計画が動き出します。

要は、放置された台場トンネルといった施設や土地を生かして線路を引こうって事です。

それが、東京臨海高速鉄道株式会社となり、りんかい線になります。

ちなみに、その当時から、大崎までトンネル掘るって計画になってます。
何故大崎か…真相は知りませんが、
管理人の推測だと以下の理由が考えられます。

・渋谷・新宿・池袋と言った副都心と、新たな副都心、大崎・臨海副都心を結ぶことが可能になる
・品川駅周辺は、既に土地を抑えた業者があり、しかも、山手貨物線につなげるとなると手間がかかる。
・大崎であれば開発段階であり、新線敷設・拡張スペースがある

そんなわけで、都市博開催の1994年までにりんかい線新木場〜東京テレポートを作ろうと思った矢先、
バブル崩壊。
その影響で開通は二年延期され、
当時の知事の判断で都市博中止、臨海副都心開発計画縮小されます。

が、りんかい線開通は延期はされず、
1996年3月に、りんかい線(当時は臨海副都心線)第一期区間、新木場〜東京テレポート開通

当時は4両で、開発が進まない臨海副都心を走るりんかい線は、赤字続きだったそうです。

フジテレビの移転や東京ビックサイトの開業はしていたそうですが。

また、東京テレポートの駅名由来は、開発計画名:東京テレポートタウンから。
端的にいえば、ITの港たる都市を目指すということで、時代背景的にはWindows95がヒットした後の話ですし。

そんなわけで、りんかい線の幕開けは都市開発計画にブルンブルン振り回され、荒波に出るかのごとくの船出というわけです。
ちなみに、当時の車両の留置・保守は、現在の京葉車両センターでやってました。

上記の歴史的経緯により、京葉線と線路がつなげたわけです。

また、現在の天王洲アイル〜東京テレポート間にあたる部分の本線でも行いました
…もっとも、大崎〜東京テレポートは未開通ですが。

そして、第二期区間の建設工事計画が動き出します。

ルート選定には、コスト圧縮と、既存鉄道ネットワーク充実化の両観点から現在のルートになりました。
第1期区間は放置された施設・土地を活用していますが今回は全く1からですからね。

後述しますが、放置区間は第二期区間にまでまたがります。
天王洲アイル〜東京テレポート間で線路が合流する個所から東京テレポート駅間です。

ここは、状態が酷く劣化がシャレにならなかったので、作り直したり補修したそうです。

で、りんかい線側は、JR東と埼京線直通運転についての協議を開始します。
理由は上記の推測と、ほぼ一緒でしょう。
ちなみに埼京線は96年に恵比寿まで延伸してます。
最初は、山手貨物線の設備が古く、乗り入れには難色を示すどころか、
JR構内乗り入れすら拒否に近い反応を示したそうです。

東京総合車両センター(当時の大井工場)の改修が必要との事だそうです。

でも、りんかい側も引くわけにはいきません。
2000年に全線開通させる代わりに沿線の企業から援助金をいただいてる以上、開通延期は何としても避けたい。
なので、粘りに粘り、大崎のJR構内乗り入れには合意しました。

でも、直通運転OKはなかなかしてくれません。理由は上記により。
しかし、湘南新宿ライン計画が、手のひらを返すかのように、乗り入れを認めました。

そうすると、自社で車庫を確保しないと行けなくなりました。
沿線は何だかんだいっても、開発計画が色々と進んできてそう簡単には行きません。
直通協議の中、JR東から現在の東臨運輸区の土地を斡旋してくれ、
しかも、放置されたトンネルをそのまま生かせるとあって、そこに決定。

そう、前述した台場トンネルが遂に行かされることになりました。
ちなみに、開業当時から現在までりんかい線70-000系の重要部や全般検査は現在の東京総合車両センターに委託してます。

しかしここから順風満帆かと言えばそうでもなく
前述した、臨海副都心開発計画変更の影響で2期区間の免許を取り下げ、再取得となったからですが、
開発計画の進みが皮肉にも意外や追い風となり港湾局から早期開通の要請を受け、計画を練り直し、

2001年 天王洲アイルまで開通
2002年 大崎まで全通&埼京線直通運転開始。
という運びになりました。

5.現在のりんかい線とこれからのりんかい線

現在のりんかい線は、新木場〜大崎間と埼京線・川越線川越まで直通し運行され、
日中は毎時7本ほど運転。埼京線直通はほぼ20分間隔で埼京線内快速。
で、大崎発着が毎時4本。とすると、湘南新宿ラインとちょうどよく接続…というわけではないところが惜しいです

埼京線と湘南新宿のダイヤパターンが合わないので。
もちろんラッシュ時は直通本数増えます

で、最近臨海副都心も台場地区なんかは開発が大詰めになってきて、
企業の進出、土日の気軽な遊び場として定着し、2012年度には黒字決済になってます。
平日昼間でも乗ってることもあります。。

東京臨海部で唯一の大量高速輸送機関はこのりんかい線であり、その地位は揺るがないでしょう。

で、冒頭にも書いた話題な話。

JRによる羽田空港アクセス線。

新木場や新宿へのルートはりんかい線を使用します。
運賃問題など様々なことがありますが、

羽空アクセス線で唯一大規模工事が不要な新木場ルートの2020年まで先行開業という話も出ていましたが、
詳細がまだまだ出てこないんですけども、りんかい線が便利になるのは確かな話。

今後沿線の開発等がまだまだ続き、オリンピックアクセス・羽田空港アクセス路線になるりんかい線
そして、上記の通り、東京ウォーターフロントエリア唯一の大量高速輸送機関としての安定的な地位。
今後の動向が気になるところですね。



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